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これはそもそも高校生向けに書かれたものだが、当時40代後半の鷲田氏の語り口の軽妙さと発想の意外性に、大人も読まされる。
冒頭の一行、「からだって、こまったものだ。」人は実は「じぶんの身体がじゅうぶんによく見えない」。だから、自分の体に対し「もろい」「イメージ」しか持っていなくて、服を着てイメージを「補強」する、あるいは服でじぶんと外界との「境界」を作る…… 。言われてみれば納得できる。
なによりdisproporsionを「不釣り合い」「不均衡」という堅い言葉ではなく、「ちぐはぐ」という日本的な言葉に置換したところがすごい。プロポーションを命とする「モード」と、それを壊そうとしてきた山本耀司や川久保玲といった「非風」の人々と、「ちぐはぐな身体」へのイメージ作りに右往左往する人間…… 。
それは、制服の考察、ダイエット症候群や清潔願望の読み説き、男性が女装すると人格崩壊に近い衝撃を受ける、という事実にまで広がっていく。哲学=知を愛する学問なのだから、ファッション学はあって当然なのだ。そして、それは身体と心に直結したもの。この点がとても新鮮だ。
敷居の高そうな哲学を身近にしてくれる格好の入門書。
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