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メカニズムデザインとはなにか。
まず、ゲーム理論を、所定のルールのもとで自己の目的の実現を目指すゲーム・プレイヤーの振る舞いを扱う理論だとしましょう。
すると、メカニズムデザインは、プレイヤーの合理的な行動原理を所与とし、ゲームを司るゲーム・マスターの目的の実現に向けてプレイヤーの行動を誘導するルール設計を論じる理論といえるでしょう。
つまり、ゲーム理論とメカニズム・デザインは対をなして、プレイヤーとマスターそれぞれの立場で目的実現のために合理的な決定を下す基礎を与えるのです。
オークションを例にとれば、入札者がプレイヤー、主催者がマスターです。
プレイヤーは、品物をなるべく低い支払額で入手することを目指します。
これに対し、品物を最も高く評価する入札者に品物を落札させることや、なるべく高い金額を落札者に支払わせることなどを、マスターの目的として考えることができます。
このようなマスターの目的を満たすには、どのようなルールを定めればよいのか。
あるいは、そのような目的を満たすルールは存在しないのか。
これらの命題に対してメカニズムデザインは数学的な証明を与えます。
ここで、マスターの目的を達成することにより実現される状況が、関係者全体にとっての"望ましい"状況と同一視できるとしましょう。
すると、このような目的を実現するルールのもとでは、利己的な合...

「低血圧の患者さんには繊細な心使いがあり、豊かな可能性を潜在しています。
低血圧の治療はそれを開花させ、可能性を結実させることにつながります」
これは「改訂二版にあたって」に書かれている、著者の言葉です。
著者は低血圧は生命現象の低下であると表現し、低血圧患者のクオリティ・オブ・ライフ(生命の質)が
大きく障害されていることを指摘しています。
低血圧患者にとって、症状と同じくらいつらいのが、まわりの無理解だと思います。
「根性がない」「気合いが足りない」「気のせいだ」「大げさだ」・・・
(時には低血圧の人にさえ、そういう風にいわれてしまうこともないでしょうか・・・
それだけ低血圧の症状は、種類も程度も個人差があるのです!!)
この本の著者は、そのような態度とは正反対のところにいらっしゃいます。
低血圧患者の辛さに、とことん寄り添ってくれています。
この本のよいところは低血圧の理解が深まり、また自分でできる改善法を知ることができること。
そして、「理解されている」という安心感と、冒頭に引用したような言葉から、希望をもらえことです。
低血圧からくるいろいろな症状でお困りの方、ぜひ読んでみてください。本当に「バイブル」になると思います。

これはそもそも高校生向けに書かれたものだが、当時40代後半の鷲田氏の語り口の軽妙さと発想の意外性に、大人も読まされる。
冒頭の一行、「からだって、こまったものだ。」人は実は「じぶんの身体がじゅうぶんによく見えない」。だから、自分の体に対し「もろい」「イメージ」しか持っていなくて、服を着てイメージを「補強」する、あるいは服でじぶんと外界との「境界」を作る…… 。言われてみれば納得できる。
なによりdisproporsionを「不釣り合い」「不均衡」という堅い言葉ではなく、「ちぐはぐ」という日本的な言葉に置換したところがすごい。プロポーションを命とする「モード」と、それを壊そうとしてきた山本耀司や川久保玲といった「非風」の人々と、「ちぐはぐな身体」へのイメージ作りに右往左往する人間…… 。
それは、制服の考察、ダイエット症候群や清潔願望の読み説き、男性が女装すると人格崩壊に近い衝撃を受ける、という事実にまで広がっていく。哲学=知を愛する学問なのだから、ファッション学はあって当然なのだ。そして、それは身体と心に直結したもの。この点がとても新鮮だ。
敷居の高そうな哲学を身近にしてくれる格好の入門書。